「あさイチ」で受動喫煙で感じた喫煙犯罪時代

喫煙者はどこへ行けば許される?

今日、3月19日の8:15~あさイチのテーマは「受動喫煙」だった。

まずはじめに、私は喫煙者であるから、こういった記事や報道をみるたびに少し胸が痛むし、少し喫煙者の肩をもってしまいがちなことを謝っておきたい。

 

今回番組内では「推計で年間1万5千人の人が受動喫煙によって亡くなっている」というパワーワードや、視聴者からのコメントでもあったが、本当にニュースなどで報道されるいわゆる犯罪者の報道の形式に似たものがあった。「こわーい」や「ひどーい」といった言葉が、スタジオ内の出演者から漏れた言葉からもイメージできた。

化学物質過敏症になった女性や、マンションの下の階のベランダからの煙によるトラブルなど、とにかく受動喫煙による現状の被害報告が目立つ内容だった。「かわいそうな受動喫煙者」という表現は伝える上で仕方ないのかもしれないが、少々過度であったように私は感じた。

番組をみていない人は、下のURLからあらすじをみてもらいたい。

 

喫煙者は許しを受けるには?

ここまで報道されると、「まるで犯罪者」というよりも、いっそのこと犯罪者としてもらった方が、潔いとすら感じてしまう。ここで、喫煙者が許されるにはどうすればいいのか?真っ先に「分煙」ということが考えられるが、分煙の始まりを調べて見ると、

 

「分煙」という語彙のメディア初出は、1985年3月17日朝日新聞「座標」欄「“たばこ戦争”新時代 煙に「指定席」必要 論説委員大熊由紀子」であった。

上の通り、85年か30年近く行われているが、現在も解決にいたっているとは言えないのだろう。分煙したところで、化学物質は衣服や口内についてまわるようなので受動喫煙完全防止とはいかない。このままだと、この先「タバコを吸った後は会話禁止令」などがでてきてもおかしくはない。

 

いろいろな法律規制がタバコをとりまいているが、この受動喫煙問題について悩むことによって生じる言いようがないストレスはもはや健康に悪影響ではないだろうか。受動喫煙が原因によって亡くなった方がいるのは少なくとも事実であるが、このまま進むと、いずれ喫煙者が分煙ストレスで亡くなる時代も起こりうる。

 

中央線で中野駅でとまったとき、いつも歩道橋下の檻の中のような空間で吸っているサラリーマンたちが目に入り思う「そこで吸って本当においしい?」って。みんなで許しあい、受け入れあえるギリギリのラインを見つられたらいい。

わかってほしい。この世界に生まれた以上、そもそも100%安全な世界などないのだから。

 

 

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